魚津三太郎塾

本日は魚津三太郎塾の講義がmachi-coで行われました。


魚津三太郎塾 ?


魚津三太郎塾は、将来の魚津を担う地域産業界のリーダー育成を目的として産学官金が連携して開催しています。地域課題を企業課題として捉え、地域の課題解決が企業の更なる発展、持続継続性に繋がるものと位置付けています。

 塾生が地域プロジェクト創造のプロセスを体験することにより、自ら考え行動する人材の育成を目標としています。(魚津市役所のHPより抜粋)


なぜ魚津市で三太郎?

大正から昭和にかけて活躍された魚津にゆかりのある3人の博士

  川原田政太郎博士 (テレビ発明の先覚者)

  盛永俊太郎博士   (稲の研究)

  宇田新太郎博士   (アンテナ・超短波の研究)

の名前にいずれも「太郎」がつくことから、親しみを込めてこのように呼び、偉大な地域の先人として伝えられています。

詳しくは、魚津歴史民俗博物館HPをご覧ください。


魚津歴史民俗博物館(魚津の三太郎博士)

魚津の三太郎博士 テレビ発明の先覚者である川原田政太郎博士 稲の研究者である盛永俊太郎博士 アンテナ・超短波の研究者である宇田新太郎博士 魚津にゆかりのある3人の博士の名前に「太郎」がつくことから「魚津の三太郎博士」と呼ばれています。 下野方村本江生まれ。(1890 - 1983) 下野方尋常小学校(現魚津市立本江小学校)、魚津尋常高等小学校(現魚津市立大町小学校)を卒業後、働きながら苦学し、 魚津中学校(現県立魚津高等学校)に学び、上京して早稲田大学予科に入学。 その後、早稲田大学助教授としてイギリスやフランスに留学、テレビジョンの研究に取り組みます。 1930年(昭和5年)、世界で初めてテレビの公開実験に成功しました。 博士は発明の人とも知られ、特許取得の数は60にも及んでいます。 博士の業績を讃え、魚津市の名誉市民第1号になっています。 ※ 資料館では、電気親子時計や磁歪時計などの発明品を展示しています。上野方村大海寺新生まれ。(1895 - 1980) 魚津尋常高等小学校(現魚津市立大町小学校)、魚津中学校(現県立魚津高等学校)、 東京帝国大学大学院に進み、稲の研究に専心。細胞遺伝学を用いて、病害虫に強い品種を作るための基礎研究を行い、 稲の発祥地を探る手掛かりや多数の新種を発見しました。 民俗学者として名高い柳田国男らとともに稲作史研究会を組織し、「稲の日本史」など多くの著作を残しています。 下新川郡舟見村(現入善町)生まれ。(1896 - 1976) 魚津町に転居後、魚津尋常小学校(現魚津市立村木小学校)、魚津尋常高等小学校(現魚津市立大町小学校)、 魚津中学校(現県立魚津高等学校)を経て一旦教職に就きますが、その後東北大学に進学。 苦学しながらVHF帯電波の研究を行い、今日のテレビアンテナの実用化に結びつく発見をしました。

www.nice-tv.jp

じつは私もこの魚津三太郎塾の3期終了生です。


今日はオブザーバーとして参加させていただきました。

講師はイケメンの魚津市役所伊串先生と魚津漁業協同組合の濱夛一徳先生(超有名人)


そんな魚津三太郎塾は終了生と協力し


地域の中学校へ講師として協力をしています。



(北日本新聞社9/21朝刊より)


将来を担う子供達が郷土愛あふれる人として成長して行くことを願っています。


コワーキングスペースmachi-co

仕事も、趣味も、イベントもここで(^-^) 「夢を実現したい人」 「やりたいことがあるけど  一歩が踏み出せない人」 「仲間が欲しい人」  machi-coはいろんな人が  集まって、  いろんなことが実現できる 場所です♪

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